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焼肉と共感覚と本当の自分 [解明選]

<本当の自分>

 とても取り戻せているようには見えないですよ!

 ……えーと、しかしながら、本当の自分っていうのが何なのか決めるのは、突き詰めれば主観でしかないわけで、彼が「これが本当の自分なんだよなぁ……」と浸っている、浸りきれているのであれば、それが絶対的に正解なのである。
 まあ、他のほとんどの人が「そう見えちゃっているんだぁ……」と同情しきりなのは言わずもがなということで。

 ちなみに「そう、見えちゃっている」というのは実際に起きている現象だそうで。脳みその先生から聞いた話によれば、やはり人それぞれ見えている物はどうも違うらしい。

「人が物を見る」というのは、まずその物を目でとらえたらそれをダイレクトな情報として脳に送るわけではなく、グラフィックのプログラム同様、デジタル放送などと同様、一度データ化してから脳に送り、それを再び読み直して映像化するという。つまりその読み直す部分が人と違うならば、再映像化された物は人とは違う物になる、可能性があり得るというのである。こういう話をすると、「じゃ、たとえばタイヤ。俺とお前が見ている形状が異なるとしたら、なんであの丸くてゴム製で中が空洞になっているアノ形が共通認識されているんだ? タイヤを描けと言われれば多くの者が同じものを描くんだ? タイヤとドーナツの写真を見せて、タイヤを選べと言ったら多くの者がタイヤの方を選ぶのはどうしてなんだ?」と質問が起こるであろう。
 その回答はこうなる。
 Aという人が見る実物のタイヤと絵のタイヤと写真のタイヤ。それがタイヤであるかどうかはAという人が判断するのであるから、Aという人にとってはそれがタイヤという画像データ。Bという人にとってもそれがタイヤという画像データ。それが共通であるという認識をするために「丸くて」「ゴム製で」「中が空洞になっている」という形容詞を用い、それによって共通の感覚を得ているように思おうとするのだが、画像を言語データで表現している時点で実は非常に危うい。
 なぜなら、Aという人が思う「丸い」と形状は、生まれたときから接してきた物の中で「どうやらアレが、みんなが言う丸っぽいっていう感じだろう」ということでしかなく、Bの人に同様の画像データだけを脳みそをダイレクトに繋いで送ったら、「それ楕円じゃん」というかもしれないし、「それ、正方形でしょ」と言うかもしれない。
 ……うーん、共通ではない画像データの話を共通の画像データで話すのは難しい……そっか、第三者的視点、神の視点から言えばわかりやすいかも。

 たとえばある物質があるとする。神からすると、どうやらAにはそれが三角形に見えている様子。一方、Bには四角形に見えている風。神には「丸」に見えている物が双方違うように見えている様子。
 神はなぜそうわかるかと言うと、Aは丸を描くときに三角形を描いている。それをAは「丸」だと言う。Bは丸を描くときに四角形を描いている。それを「丸」だと言う。
 不思議なのはここから先。
 Aがその「丸」だと言い張る三角形をBに見せると、Bは「うん、丸だ」と言う。
 同様にBがその「丸」だと言い張る四角形をAに見せても、Aは「うん、丸だ」と言う。

 つまり絵はその物質の模写であり、現物も模写も見る側にとっては同じ物であり、それがどのように見えていようとも、Aにとってはそれが神の言うところの三角形でも、Bにとってはそれが神の言うところの四角形でも、互いにそれは小さいときから見てきた「丸」という物になるのである。

 要するに絵になろうが写真になろうが画像データであり、現物同様の“見え方”がなされるのである以上は当人にとってどれも同じように見えているのは当然であるが、他人同士が同じように見えているという保証は一切無い。なぜならそれがどういう形状なのかを判断しているのは当人でしかないから。

 ……うーん、うーん……わかってもらえるだろうか。

 これは、同程度の分類ができる者同士の場合、全部異なるものでもそれぞれに認識がなされるので、逆に気付きづらいこととなる。しかし、2つの異なる物のはずなのに、それが同じ物に見えるという人物が現れたとき、「あっ、人によって見えてる世界って違うんだ」とハッキリ認識される。
 自分のようなある色素の範囲を持っている赤と緑が同一に見える“赤緑色弱”者などが、そのきっかけとなる人物であろう。
 まあ、だから自分はそもそも大多数の人間とは違う世界に見えているという意識を小学校3年生の時から持って生きてきたので、人によっては見えている形が違うかもしれないという現象は素直に受け入れられる。

 見るという行為において劣等者であろう色覚異常者もマイノリティということで上記の考えを受け入れる円滑材となりうるであろうが、その一方で見るという行為において優等生であろう「共感覚者」もマイノリティという点においては同様の存在となりうる。

<共感覚>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A

 自分は実際に会ったことがないので聞き伝えだが、たとえば数字を見て色を感じたり、音を聞いて臭いを感じたり。五感の中である感覚を得たときに、別の感覚を呼び起こしてしまう傾向が強い人を俗に「共感覚者」と呼ぶ。
 その要因はバグであろうと考えるのが妥当かと。
 たとえば赤い物を見たときに赤という情報を視覚として脳内で伝達している時、信号が漏れてないはずの嗅覚を呼び起こし、「酸っぱい」などのあり得ない情報まで感じ取ってしまっているのではないかという仮説。
 しかし、その仮説に危うさを与えるものとして、共感覚者の多くは文字通り、共通の感覚を共有しているという事。
 たとえば7を見て黄色を感じるのが共感覚者の中では大多数となったり。
 要するにそれが“伝達する何かの破損”が要因であるならば、破損がランダムではなく偏向しているのである。
 非常に不思議。なので先々日、脳みその先生に質問してみたところ、なるほどという回答を頂いた。

 まず五感が個別であるという考えが逆に不自然なのであると。完全に独立しているわけなく、同時に作用するのが自然。
 たとえば赤い色に暖かさを感じたり、青い色に冷たさを感じるという、共感覚者でなくても大多数の人が感じること。文字通り、共に感じることがいろいろあることを知っている。その延長線上、それを強めた、強烈なクオリアを持っているというのが妥当であろうと、言う。

・クオリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2

 なるほど。より感覚の強い者ってことで、五感においては優等生であるというのが自分の見解。
 同じ仕組みをもつ人間なのだから、同様の共感覚が強まる傾向になるのは当然。よって同じような感覚を持つ共感覚者が偏るのも当然だと。
 それがバグだとしても、バグ自体、ランダムに発生するわけではなく、同じプログラムを持ったモノであれば、同じようなところが壊れやすいのは当然だ、とも。

 至極、納得。

 しのはら先生。参りました。これからもよろしくお願いします。

 ま、話はそれで終わったのですが、自分としては共感覚を高めたいなあって思ったわけです。
 単純に考えて、人よりも感じやすくなるわけですから。気持ちいいに決まってますから。

 上記の話を考えると、持って生まれた遺伝的なものが強いでしょうが、そもそも人間誰しも持っている感覚=クオリアが強まったものという考えもできるので、後天的に高めることも可能かもしれないと、思ったわけです。それには五感のどれかを、たとえば味覚が強烈に高めることで、そこから共に引き起こされるであろう他の共感覚も意識できるほど鮮明になるかもしれませんから。知ることで、その後は自然と共感覚を得られるかもしれませんからね。というわけで、昨日は……

<焼肉>
 共感覚を養うという目的のため、ただ、それだけのために焼肉屋へ行った。
 美味いものを食べたときに、味覚以外はどのような感覚を得るのか。実験してみました。今回は視覚重視で。

・レバ刺し    →美味い上に……赤?
・タン      →美味い上に……白
・ヒレミミ    →美味い上に……これは赤
・ハラミ     →美味い上に……赤なんだけど、それを引き立てる白が強い
・ホルモン(タレ)→美味い上に……赤。強い赤
・ホルモン(塩) →美味い上に……白。間違いなく白
・冷麺      →美味い上に……白っぽいけど、赤が混じる感じかなぁ〜

 答え合わせ。
・レバ刺し    →美味い上に……赤?
 ↑思い出すと、血抜きが不十分だった
・タン      →美味い上に……白
 ↑塩
・ヒレミミ    →美味い上に……これは赤
 ↑赤身が多い方を好んで食べてた
・ハラミ     →美味い上に……赤なんだけど、それを引き立てる白が強い
 ↑最近、ハラミの肉らしいジューシーさが好きになっている
・ホルモン(タレ)→美味い上に……赤。強い赤
 ↑辛めで注文
・ホルモン(塩) →美味い上に……白。間違いなく白
 ↑綺麗に掃除が施されたテッチャン
・冷麺      →美味い上に……白っぽいけど、赤が混じる感じかなぁ〜
 ↑塩味。キムチ入り

 えーと、ただの見た目だね! 共感覚者失格! 劣等生決定! でも、美味かったから合格!!←なにが?


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