2007年1月15日月曜日の午後に気付いた真理 [解明選]
私は、
「明日死ぬかもしれないからと美味いものを食う」
という一方で、
「明日やればいい事は今日やらない」
という。
前者は“明日死んでもいい”という考えであり、後者は“明日死んでは困る”という考え。それが脳内で同居している時点で矛盾が生じているように見える。
「明日死ぬかもしれないから美味いものを食う」のであれば、「明日死ぬかもしれないから、本来であれば明日やればいいことも今日やっておかなければならない」とならなければいけない。逆に「明日やればいい事は今日やらない」のであれば、「明日になるとやらなければならない事があるので、明日までは生き延びなければならないから、明日の食費のことも考えてあまり高くて美味いものは食えない」となるべき。
ちなみに明日というのは便宜上言っているだけで、つまりは日々続いていくであろう未来の断片を示しており、その断片が続くのであれば未来となり、ただし未来とは漠然とした予定でしかないからして、「明日死ぬかも……」とは「いつかは死ぬかも……」と同義となり、それは人間誰しもにあてはまる状況であり、いつ何時でもあてはまる状況であり、となると「明日死ぬかもしれないからと美味いものを食う」の「明日死ぬかもしれないからと」の部分は不必要であり、要するに「美味いものを食う」わけである。人間誰しも。食いたいのである。いつ何時も。
で、あれば、「明日死ぬかもしれないから、本来であれば明日やればいいことも今日やっておかなければならない」であり、ここでも「明日死ぬかもしれないから」は必要なく、「本来ならば明日やればいいことも今日やっておかなければならない」となる。先ほど述べたように、明日とは未来の断片=未来と同義語であるからして、「本来ならば明日やればいいこと」とは「未来にいずれ必ずやらなくてはならないこと」となり、それは生きている限り未来永劫やらなければならないすべての事=何事も、となる。
まとめると「美味いものを食いたいならば、何事も今日やっておかなければならない」ということになってしまう。
言うまでもなく、何事も今日という日、最高でも24時間という時間の枠内で終わらせなくてはならないというのは不可能なことであり、よって美味いものを食うことも不可能となってしまう。人間誰しも美味いものが食えない、となってしまう、のだが、美味いものを食っている人がいるというのは事実であり、私もその一人でありたいと願い、そうしているのであり、それに対して前述したように明日やればいい事を今日やるのは不可能なのだからして、明日やればいい事は今日やらないということでいいのである。
以上のことより、
「明日死ぬかもしれないからと美味いものを食う」上に、
「明日やればいい事は今日やらない」
というのは矛盾してなく正しいということがここに証明されたのである。
……ん? えぇ、そうですよ。パラドックスですけど、なにか? ただ、たったひとつだけ、私が私に伝えたい真理があります。
真理=こんな能書き垂れてる暇があったら仕事をしろ。
追伸:明日やればいいはずだったことが、もっすごい溜まってきてます。でも、きっとそれらも明日やれば……って、もうダメ? もう無理?
今日やらない、としてしまうから問題なのであって、私は
「今日やるべきことは、明日でもできる」
と、ちょっと別の持論で生きています。
これなら、今日旨いもの食べて、明日生きていれば仕事をすればいいし、
明日死んでいたら、最後に旨いもの食べられて幸せだったということで大変目出度いわけです。
キミの場合、
「昨日までに済ませるべきことを、今日やっていない」
となり、私の持論と非常に似ていますが今日キミは生きているのであって、
しかもやっていないから美味しい物を食べてはいけないことになってしまうのです。
だから、考え方を改めた上で仕事を済ませて光らせに行きましょう。
新人バニーの尻が待っています。ジャグでも100回当たります。
by 黒田B造 (2007-01-17 09:19)
>黒田さま
はーい! いっきまーす!!
by ウエノミツアキ (2007-01-17 22:12)